偽善がとうとかいう話だったっけ?

私はボランティア活動というのは「自分がやれる事をやれる時間の中でやる」ので良いと思っています。ボランティアをやっているとどうしても何処かで自己犠牲を強いられる事があり、決してそういうのも嫌いではないのですが、無理したら結果として長続きしない。
所謂寄付活動的な行為として濡れ煎餅を購入するという些細な行為であっても私は歓迎するべきだと思うし、それらの行為を「浅い考え」だと糾弾するのは適切ではないでしょう。

え〜と、問題は偽善がどうとか最終的に解決するまで付き合うとかいった話でなくて、何にも考えずに表面的にいいことをしても問題が解決するどころか悪化するという可能性があるという話しでは。
たとえば、新潟の地震の際に「食べ物がなくて困っているだろう」と保存の利かない食品までも送りつけられて色々困っていたという話があったと思うけど、それと似たようなもの。「しない善より、する偽善」ってのはそのとおりなんだけど、結果が伴わないと意味がないよね。「たいして効果がない」であればまだいいけど*1、「やらないほうがまだマシ」という結果になりそうなのであれば、文句の1つも言いたくなるというものだろう。

*1:でもその場合はもっと有意義なことをやれといいたくなるけども