論争の弊害

Isoparametric 『嘘情報は確かにやっかいですね。
ただ、だらだらと経過が書き連ねられて、あのコメント欄のように鬩ぎ合いに発展してしまうのは、
結局ノイズや無意味な(第三者からは判断するのにややこしい)情報の羅列になるだけと思うので、
つい、落ち着いて! とか思ってしまいます。』

こういう視点は大事かも。
ある程度知識がある人間はコメントに目を通せば大体判断が付くとは思うんだけど、そうでなければ「で、結局?」みたいなことになりかねないし、そもそもあの長大なコメントを読む人間が少なそうではある。間違い(もしくは誤解を招く記述であること)を本人が認めて、それが反映されるならいいんだけど、どうもあの件は筆者の振る舞い(および過去の履歴)を見る限りそれを望むのは無謀といえそう。
しかし、放って置くのもやはり嘘の情報を広げることになりかねないわけで*1、コメント欄で論争が起きていれば「鵜呑みにするのはまずそうだ」という判断にもつながるかも知れないとか思ったりもする。

*1:逆に言及することで返って影響力が大きくなることもありうるけど